月に一度の島会議。場所はいつもの洞窟だ。
岩のテーブルの上にクロワの地図が広げてあって、その横にノビのノートと、誰かが持ってきた干し果物が置いてある。外は曇り空。湿った風が洞窟の奥から吹いてくる。雨が近い。岩の壁に水滴がついている。
前回の会議では「食料貯蔵の効率化」がテーマだった。ガリョウが「冷蔵庫を作れ」と言い、クロワが「この島に電力インフラはない」と返し、3時間議論した末に「洞窟の奥が涼しいからそこに置こう」という結論になった。正直、3時間かけて出す答えではなかった。でも、あの3時間で出たほかのアイデアが、別の場面で役に立ったりもしている。回り道は、ときどき近道になる。
今回の議題は「島をもっと良くするには?」。漠然としている。漠然としているからこそ、何でも言える。何でも言えるからこそ、カオスになる。それはもう約束されている。
僕は干し果物をかじりながら、昨夜必死で書いたノートのページを確認した。10個。ちゃんと10個ある。大丈夫。たぶん。
テーブルに走るヒビ
ガリョウが岩のテーブルをドンと叩いた。
テーブルにヒビが入った。前回のヒビの隣に、新しいヒビが走る。ノビが慌ててコップを押さえた。クロワは眉ひとつ動かさない。この光景はもう何度目だろう。テーブルのほうがかわいそうだ。そのうち真っ二つに割れるんじゃないか。
各自、アイデアを10個持ってこい。良い悪いは関係ない。10個だ。5個じゃダメだ。10個。脳みそを絞れ。
10個。いつもこの数字だ。ガリョウはいつもこの数字にこだわる。「5個なら誰でも出る。6個目から苦しくなる。8個目で頭が空っぽになる。9個目から、本当のアイデアが出る」。それがガリョウの持論だ。理屈じゃない。ガリョウの経験則だ。苦しい場所にしか、金脈はない。
クロワが即座にリストを読み上げた。
準備がいい。というか、たぶん会議前に計算し尽くしている。手元のノートには、各項目の費用対効果まで書かれているはずだ。クロワは会議を「議論の場」ではなく「発表の場」だと思っている節がある。
僕からは、港の動線改善、防潮堤の再設計、食料備蓄庫の温度管理システム、避難訓練の頻度見直し、通信手段の多重化、雨水の浄化装置、地質調査の定期実施、建材の規格統一、エネルギー自給率の向上、医療資材の備蓄計画。以上10個。
真面目すぎて頭が痛い。ノビ、お前はどうだ。
僕は慌ててノートをめくった。
昨夜、寝る前に必死で考えた10個だ。焚き火のそばで、頭を抱えながら書いた。最初の5個はすぐ出た。6個目で止まった。7個目あたりから頭が空っぽになって、最後の3つはほとんど勢いで書いた。「花火大会」は布団に入る直前に思いついた。でも10個出せとガリョウが言ったのだ。出すしかない。
えっと……火山の熱を使った天然温泉、崖の上にブランコ、夜光る石を集めた光の道、闘技場があったら面白くないですか? あと、空が見える屋根なし映画館、島の歌を作る、海の見える展望台、巨大すべり台、みんなの似顔絵を岩に彫る、あと……花火大会!
一瞬の沈黙。クロワが眉をひそめた。ガリョウは腕を組んでいる。
僕のアイデアは半分以上が遊びだ。クロワのリストと比べると恥ずかしいくらい子供っぽい。「防潮堤の再設計」の隣に「巨大すべり台」。並べるだけで恥ずかしい。でも、10個出せと言われたのだから、出した。バカにされるかもしれない。でも出した。声に出すことが大事なのだと、どこかで信じていた。
温泉と闘技場の衝突
……闘技場? この島に娯楽施設を建てる余裕は――
待て。
ガリョウが片手を上げてクロワを遮った。
目が光っている。何かを嗅ぎ取った顔だ。獲物を見つけた猛獣の表情。こういう顔をしたとき、ガリョウはだいたい突拍子もないことを言い出す。僕とクロワは思わず身構えた。来る。何か来る。
温泉と闘技場を合わせろ。湯に浸かって戦う。最高じゃないか。
「温泉闘技場……?」
洞窟の中に、その言葉が反響した。僕は自分の耳を疑った。お湯に浸かりながら相撲を取る。バカバカしい。バカバカしすぎて笑いそうになった。
でもガリョウは大真面目だった。あの火山のような瞳が、本気で燃えている。ガリョウにとって、「闘う」と「楽しむ」は同じことなのかもしれない。
クロワが口を開きかけて、閉じた。もう一度開いた。
何かの計算が、頭の中で走っているのが見えた。あの氷青の瞳が、忙しく動いている。否定しようとして、でも否定しきれない何かがあるのだ。
構造的に不可能なら即座に否定する。それがクロワだ。「物理法則に反する」「構造的に成立しない」。クロワの否定は早い。でも今、クロワは黙っている。つまり、可能性があるということだ。
……バカバカしい。だが、構造的に不可能ではない。火山の地熱を利用すれば温水供給は安定する。問題は排水だが……。
クロワさんの排水技術と組み合わせたら、いけるんじゃないですか? 闘技場の構造に排水機能を組み込めば、大雨のときにも使えたりして。
クロワの目が変わった。あの氷のような瞳に、火が灯った。
「排水ポンプとしての転用……」。ペンが走り始めた。一度スイッチが入ったクロワは止まらない。闘技場の円形構造を利用した集水設計、温泉の余剰熱を利用した乾燥施設、観客席の段差を利用した自然排水勾配。数字と線が、ノートの上で組み上がっていく。ページが足りなくて、余白にまで書いている。
僕の突拍子もないアイデアとクロワの構造設計が噛み合った瞬間、空気が変わった。洞窟の中が、急に明るくなった気がした。全員の目の色が変わった。
ガリョウは腕を組んで満足そうに頷いている。「だから言っただろう。10個出せば、1個は当たる」。その声は、誇らしげだった。
湯煙の向こうに
結果、島にできたのは「地熱温泉アリーナ」。
平時は怪獣たちの憩いの場。有事には排水ポンプとして機能する多目的施設。建設にはクロワの構造設計とガリョウの腕力とノビの細かい作業が全部必要だった。クロワの真面目な提案だけでは生まれなかった。僕のバカなアイデアだけでも実現しなかった。混ざったから、生まれた。
僕の10個のうち、温泉は1番目で、闘技場は4番目だった。もし5個で止めていたら、両方出ていたかもしれない。でもガリョウが「合わせろ」と言わなかったら、永遠に別々のアイデアのままだった。
数を出すことで、組み合わせの可能性が生まれる。1つのアイデアは1つの可能性だが、10個のアイデアは45通りの組み合わせになる。クロワならそう計算するだろう。それがガリョウの言う「10個」の意味だったのかもしれない。
完成まで2ヶ月かかった。途中で3回設計を変更し、2回ガリョウが壁を壊し、1回ノビが足場から落ちた。クロワは毎晩設計を見直し、ガリョウは毎朝石を運び、僕は細かいタイル貼りを担当した。でも、できた。3匹の力が合わさって、できた。
オープン初日、ガリョウとノビが温泉の中で相撲を取った。ガリョウが軽く押しただけでノビは湯の中に沈んだ。お湯が盛大に溢れて、観客席の排水溝に流れ込む。クロワの設計した排水が完璧に機能している。「構造に問題はない」とクロワは確認していた。腕を組んで、排水の流れを目で追っている。どこか嬉しそうだった。自分の設計が現実に動いている。それがクロワにとっての最高の報酬だ。
しばらくして、クロワも湯に入ってきた。
「……検証のためだ」
誰も信じなかったけれど、誰もツッコまなかった。クロワの青い鱗が湯気の中でぼんやりと光っていて、なんだか綺麗だった。
3匹が湯煙の中で並んでいる。肩まで湯に浸かって、ぼんやりと空を見上げている。火山の蒸気が雲と混ざって、空が白く霞んでいた。
誰も何も言わない。湯の音と、遠くの鳥の声だけが聞こえる。この静かな時間が、あのカオスな会議から生まれたのだと思うと、なんだかおかしかった。
声に出さなかったアイデアは、この世に存在しない。でも声に出したから、今ここにある。
バカバカしいと思った瞬間に飲み込んでいたら、この湯煙は存在しなかった。「温泉」も「闘技場」も、僕のノートの中で消えていた。言葉にしたから、形になった。
その夜、ノビはノートにこう書いた──
7個目あたりから頭が空っぽになった。でも湯煙の中にいるのは、8個目以降の僕だった。恥ずかしいやつほど、あとで化ける。