空が割れたように見えた。比喩じゃない。
地平線の向こうから現れたそれは、空そのものを黒く塗り潰しながらこちらに向かってきた。今まで戦った相手とは次元が違う。大きさも、速さも、そしてなにより――知性が違った。クロワと同じ計算する目を持ち、ガリョウと同じ体を持っている。力と知性を、あの一体が兼ね備えていた。
ガリョウが真っ先に飛び出した。いつもと同じだ。だけど、いつもと同じ結果にはならなかった。
僕はノートを握りしめたまま立ち尽くしていた。足が震えている。でも、逃げなかった。
崩れる足場
ガリョウの拳が当たった。確かに当たった。だがその拳は、相手の掌に受け止められていた。今まで一度も止められたことのない拳が、止まった。
次の瞬間、ガリョウの体が地面に叩きつけられた。アスファルトに亀裂が走り、クレーターができた。あのガリョウが、地面から這い上がっている。
パターンを読まれている。Gの突進タイミング、私の迂回ルート、全て先読みされている。こいつは……学習している。
クロワの包囲陣も展開する前に崩された。クロワが吹き飛ばされ、壁に背中から突っ込んだ。右足を引きずっている。
僕は2匹が同時に地面に転がるのを、初めて見た。今まで、どちらか一方が倒れても、もう一方が立っていた。それが、2匹同時に倒れた。
ガリョウさんの左腕が動いていない。クロワさんも足を引きずっている。……どうすればいい。どうすれば。
ノートを握る手が震えた。でも、ペンは離さなかった。震える字で、敵の動きを書き留めた。攻撃の間隔。旋回のタイミング。左後方に、周期的な死角がある。約9秒ごと。
独りでは足りない
二度目の突撃も止められた。カウンターでガリョウの体が瓦礫の山に突っ込んだ。煙が晴れたとき、ガリョウが片膝をついていた。初めて見る姿だった。
ガリョウの唇が動いた。低い声だった。でも、はっきり聞こえた。
……俺一人じゃ足りない。
その言葉を聞いたとき、世界が止まったように感じた。砂漠を超え、傷だらけの過去を見せてきたこの怪獣が、初めて自分の限界を口にした。あの一言は敗北の言葉じゃなかった。信頼の言葉だった。
K、設計しろ。ノビ、走れ。俺が時間を作る。
……了解した。ノビ、東の建物群の影を使え。相手の死角は左後方、9秒ごとに生まれる。Gが囮になる。私が本体の構造弱点を突く。お前が合図を出せ。
9秒。ノートに書き留めた数字と一致していた。僕が観察した敵の旋回パターン。クロワが計算した攻撃の隙間。同じ答えに、別々のルートでたどり着いていた。
9秒。わかりました。僕が、繋ぎます。
足が震えていた。でも、走れる。1000回のスクワットで鍛えた足が、瓦礫の上でも沈まない。
9秒に詰めた全て
走った。瓦礫を跳び越え、粉塵の中を突っ切った。足の裏が瓦礫で切れたが、止まらなかった。
ガリョウが吠えた。敵の注意がガリョウに向いた。1秒。クロワが左から回り込む。3秒。僕は東の建物の影を走りながら、敵の旋回を数えた。5秒。6秒。7秒。
敵の視線が左後方から外れた。
「今!」
僕の声が粉塵を裂いた。8秒目。ガリョウの残った右腕が唸り、クロワの計算が噛み合い、僕の声が2匹を繋いだ。9秒に、3匹の全てを詰め込んだ。
敵が、初めてよろめいた。
……まだだ。
ガリョウが立ち上がった。動かないはずの左腕を振り上げた。クロワが同時に反対側から突っ込んだ。2匹の攻撃が、同じ瞬間に同じ点に集中した。
そして――敵が退いた。倒したわけじゃない。ただ、退かせた。完全な勝利じゃない。でも、全員が立っている。
3匹で地面に崩れ落ちた。空は、まだ暗かった。でも割れてはいなかった。
……悪くねぇ連携だった。
ガリョウが血だらけの顔で笑った。クロワも、かすかに口角を上げた。僕は泣きながら笑っていた。怖かった。でも走った。走れた。
ノートを開こうとしたが、手が震えて字が書けなかった。だから、この瞬間だけは体で覚えることにした。アスファルトの冷たさと、2匹の体温と、遠くで聞こえる住民たちの声。全部、体に刻んだ。
その夜、ノビはノートにこう書いた──
ガリョウさんが「俺一人じゃ足りない」と言った。あの一言で、僕の足が動いた。震えたまま走れるということを、今日知った。