商店街の端にある文房具屋で、閉店間際に一冊のノートを見つけた。
棚の一番下に押し込まれた、革の表紙がちょっとだけ剥げた売れ残り。大きすぎず小さすぎず、ちょうどポケットに入る。ページは罫線なしの無地。何を書いてもいいし、何も書かなくてもいい。その自由さが気に入った。
レジで会計を済ませると、店主のおばさんが「大事にしてあげてね」と言った。
帰り道、僕はこのノートに何を書くかを決めた。毎日、どこを歩いたか。何を食べたか。天候、気温、足元の土の色。足跡を残す。それだけのノートだ。ガリョウやクロワのように強くも賢くもない僕にできることは、記録することだけかもしれない。
笑われた初日
洞窟に戻ってノートを見せたら、反応は予想通りだった。
メモ帳で強くなれるなら、誰も苦労しない。腕を振れ。走れ。体に刻め。
記録の有用性は否定しないが、継続できるかが問題だ。大抵の者は3日で飽きる。統計的に、習慣の定着には少なくとも66日かかる。
うっ……まあ、とりあえず続けてみますよ。たぶん。66日って結構長いですね……。
ガリョウは鼻で笑った。クロワは興味なさそうに地図に目を戻した。少しだけ悔しかった。でも、「やっぱり続かなかったな」と言われたくない。小さな意地だが、意外と強い燃料になる。
その夜、焚き火の明かりで最初のページを開いた。結局、こう書いた。
「晴れ。北に歩いた。足が痛い。」
たった一行で10分かかった。情けないけれど、これが僕の一行目だ。
66日目の変化
正直、何度もやめようと思った。雨の日も、疲れ切った夜も、「今日は別にいいか」という声が鳴った。それでも一行だけは書いた。
1ヶ月目は義務感で書いていた。天気と方角だけ。2ヶ月目は惰性になった。少しだけ地形の特徴や水源の位置も書くようになった。余白に小さなスケッチも描き始めた。
でも3ヶ月目あたりから、不思議なことが起きた。ページをめくると、過去の自分が話しかけてくるような感覚が生まれた。「あの日の川は増水していた」「北の崖の手前に、湧き水がある」。記憶は曖昧になるのに、インクは変わらない。
まだ書いてるのか。根性だけは認める。
えっ、今……褒められました? ガリョウさんに褒められた気がするんですけど。
気のせいだ。
ガリョウは顔を背けた。でも、口元がほんの少しだけ緩んでいた。たぶん、気のせいじゃない。
66日を超えたとき、ノートは体の一部になっていた。書かない日は、何か大事なものを落としたような気分になる。
過去の自分が渡した地図
3ヶ月後。僕たちは南の谷に差し掛かった。切り立った崖に挟まれた細い道。足元は不安定な砂利で、岩壁から滲み出す水で苔が生えている。
クロワが地図を睨んで立ち止まった。「この先、去年崩れた斜面があったはずだ。だが正確な位置が――」
僕はノートをめくった。去年の記録がそこにあった。「南の谷、第3カーブの手前200歩で崩落。左側の獣道で迂回可能。道幅は怪獣1匹分。雨の翌日は滑るので注意」。あのとき書いた一行一行が、正確な情報を差し出してくれた。
……ノビの記録のおかげで、去年と同じ失敗を避けられた。これは設計図だ。過去の自分が未来の自分に渡した、設計図だ。
クロワに「設計図」と言われるのは、僕にとって最高の褒め言葉だった。
私は認めるべきことは認める。この記録には、私の地図にない情報がある。体感データだ。数値では拾えない質的情報が、ここにある。
ガリョウは何も言わなかったけれど、僕の頭をごつんと一回叩いた。痛かった。でも、たぶんあれは褒められたんだと思う。
その夜、焚き火のそばで最初のページを読み返した。字が震えていた。今のページと見比べると、情報量が全然違う。同じ「晴れ」でも、書いている量がまるで別人だった。
その夜、ノビはノートにこう書いた──
「晴れ。北に歩いた。足が痛い。」あの一行から始まった。今日、あの一行が3匹を正しい道に戻してくれた。