午前4時。空はまだ暗い。
僕は首根っこを掴まれ、半分眠ったまま火山の斜面まで連れてこられた。足元はゴツゴツした溶岩石で、地熱で靴底が焦げる匂いがする。空気も薄い。吸っても吸っても肺が満たされない。
そして、ガリョウはすでに準備運動を終えていた。汗ひとつかいていない。こっちはまだ目が開ききっていないのに、ガリョウの巨体からは湯気すら立っている。
事の発端は前日の夜だった。焚き火を囲んだ何気ない会話の中で、僕は「もっと強くなりたいです」と口にした。軽い気持ちだった。ガリョウは何も言わず、ただ頷いた。その頷きの重さを、あのときの僕は知らなかった。
斜面の宣告
斜面を20往復。途中で止まるな。止まったらもう1回追加だ。
にっ……20往復!? 僕、5往復でも怪しいんですけど……!
5でいいなら5の体にしかならない。20やれば20の体になる。それだけだ。
膝が笑いそうになるのを堪えて、斜面を見上げた。傾斜がきつい。頂上は暗くて見えない。見えないほうがいいのかもしれない。
クロワが洞窟の入り口から顔を出した。自分は参加しないくせに。
Gの稽古を受けた怪獣の実戦生存率は、そうでない怪獣と比べて有意に高い。データが証明している。……まあ、稽古中の離脱率も高いが。
離脱率……。それ、励ましてるんですか、脅してるんですか……。
クロワは答えなかった。ただ、ノートに何かを書き始めた。僕の心拍数でも記録しているのだろう。観察される側の気分は、あまり良いものじゃない。
隣で走る巨体
ガリョウが先に走り出した。地面が揺れる。僕は慌てて後を追った。
最初の3往復はまだよかった。5往復を過ぎたあたりからふくらはぎが張り始めた。ガリョウは横を見もしない。同じペースで淡々と走っている。
8往復目で膝が笑い出した。10往復目で汗が目に入って視界がぼやけた。11往復目で足の感覚が消えた。体がオートパイロットになっている。
15往復目で「もう無理だ」と思った。肺が破裂しそうだ。足が棒になっている。視界の端が暗い。
でも足は止まらなかった。隣でガリョウが同じ斜面を、同じ速度で、涼しい顔で走っていたからだ。ただ、隣にいる奴が走っているのに自分だけ止まるのが、なんとなく嫌だった。
喋ってる暇があるなら足を動かせ。
17往復目。クロワの声が、どこか遠くから聞こえた。
心拍数と呼吸の比率から見て、限界の92%に達している。しかし筋肉の出力自体はまだ余裕がある。つまり「もう無理だ」と判断しているのは体ではなく脳だ。
体じゃなく脳。足はまだ動く。肺はまだ吸える。限界だと思い込んでいるだけで、本当の壁はもう少し先にある。
19。あと1回。たった1回が永遠に感じる。足を引きずるように、でも確実に前に出す。
嘘をつくのは頭だ
20。
僕は倒れた。文字通り、地面に突っ伏した。全身が火照って、指一本動かしたくなかった。
空が白み始めていた。いつの間にか、朝になっていた。
体は嘘をつかない。嘘をつくのはいつも頭だ。
ガリョウは倒れた僕を見下ろして、それ以上は何も言わなかった。水の入った革袋を、僕の横にそっと置いただけだった。頑張れとも、よくやったとも言わない。ただ水を置いた。それだけで十分だった。
クロワがいつの間にか隣に来ていた。数字を読み上げるクロワの声が遠くで聞こえた。僕はまだ地面に張り付いたままだった。でも、唇の端が少しだけ上がっていた。
不思議なことに、翌週の実戦演習で体が軽かった。あの地獄に比べたら「まだマシ」だった。以前なら怖くて足がすくんだ場面でも、足が勝手に前に出る。あの斜面の傾斜を知っている足は、平地で怯えない。
頭は嘘をつく。「無理だ」「できない」「もう限界だ」。でも、あの20往復を終えた足は嘘をつかない。以前の「限界」は、今の「まだいける」になった。
あの夜、焚き火のそばで「もっと強くなりたいです」と言った自分に、今なら伝えられる。お前が求めたものは、4時間後に届く。覚悟しておけ。
その夜、ノビはノートにこう書いた──
ガリョウさんは「頑張れ」と一度も言わなかった。ただ隣で走って、終わったら水を置いた。それだけだった。それで十分だった。