夕暮れが島を金色に染めていた。
太陽が水平線に落ちる直前のあの時間帯、空が一番うるさく色を変える時間。赤とオレンジと紫が混ざり合って、雲の縁だけが白く光っている。ガリョウが「行くぞ」と言い、3匹は島の南側の丘に向かった。そこから見える海は、特に広い。
明日は試合だった。
いつもの練習場ではない。遠い土地の、大きな会場。何ヶ月も前から決まっていたことだ。でも、それが「明日」になったとき、体が違う言葉を話し始めた。
風が草をなでる音がした。海鳥が一羽、遠くの岸壁から飛び立って、空の中に消えていった。
怖いか。
唐突だった。ガリョウが海を見たまま聞いた。振り向かずに。
……怖いです。
それでいい。
怖さの正体
クロワが草の上に腰を下ろして、海を見ていた。手帳を開いていたけれど、何も書いていなかった。珍しい。クロワが手帳を開いているのに書かない、ということは、思考が手より速く動いている証拠だ。
怖さには二種類ある。準備した者の怖さと、準備していない者の怖さだ。前者は体が本気を知っている証拠で、後者は逃げたい体の嘘だ。
むずかしく言うな。要するに、怖いやつが強い。
……まあ、概ね。
太陽が半分だけ水に沈んだ。空が一段濃い色になった。
僕は自分の掌を見た。今日の朝まで練習していた。足腰が重い。肩が張っている。でも手の感覚は悪くない。何千回も繰り返した動きが、筋肉に染み込んでいる。それは確かだった。
怖いのに、準備はした。その二つが同時に存在していることが、不思議と頼もしかった。
言葉より先に動く体
ガリョウが立ち上がった。伸びをして、ゆっくりと首を回す。関節が鳴った。
俺が初めて大きな試合に出た夜、師匠に言われた。「お前の稽古は本物の勝負を知らない。明日死ぬつもりでやれ」。
……師匠、怖い人だったんですね。
ああ。でも正しかった。俺は負けた。ボロボロだった。でも死ぬ気でやったから、負けた後に立てた。やりきったから、また始められた。
風がまた吹いた。今度は少し冷たかった。季節が変わりかけている証拠だ。
データを見ると、試合前日に一番パフォーマンスが落ちる練習をする選手は、当日の結果が悪い。理由は単純で、不安を練習で埋めようとするからだ。準備は昨日までに終わっている。
今夜は眠れ。それが最後の仕事だ。
空が暗くなった。星が一つ、また一つ、灯り始めた。海が光を反射して、水平線の向こうがほんのり明るく見えた。
ガリョウさん、明日……私はどうすればいいですか。
お前がお前のままでやれ。俺やクロワにはなれない。でもお前にしかできないことがある。それをやれ。
丘を降りるとき
3匹は無言で丘を降りた。草が足に当たる感触が、やけにはっきりしていた。空気がひんやりして、呼吸するたびに肺が冷えていく。遠くで波の音がしていた。
宿に戻る前に、ガリョウが立ち止まった。振り返らずに言った。
世界は広い。明日はその広さを少しだけ知る日だ。
その夜、ノビはよく眠れた。怖かったけれど、眠れた。それで十分だと思った。
準備した怖さは、夢の中でも消えなかった。でもその怖さが、胸の奥でゆっくり、燃料になっていくのが感じられた。
明日が来ることを、初めて楽しみだと思えた。
その夜、ノビはノートにこう書いた──
「怖いか」と聞かれた。「怖い」と答えた。「それでいい」と言われた。 怖さは準備した者の勲章だ。